友人の死 (大貫忠男)
先月、親友が亡くなった。小学校からの友達だから60数年の付き合いであった。 彼の家はプラスティックの成型加工会社を経営、今では懐かしい“ダッコちゃん”、“フラフープ”、”プラスティックの食器“等々、当時(30年代)としては、かなり時代の先端を行く商品を製造、販売していた。 大学を卒業後4~5年他社に勤めた後、父親の会社に戻り経営者として活躍していた。 お互い結婚し、子供が出来、家族同士の付き合いになり、その関係は子供達が結婚してからも更に関係が深まっていった。そして我々の”還暦の宴“を両家族全員でお祝いした。 その1週間後、「脳内出血」で倒れた。失語症及び右半身不随になり、山梨の温泉病院で1年間必死のリハビリ。その甲斐(効果)があり、左手で手紙も書けるし、杖を必要とするが、歩行も、会話も特に問題なく仕事、遊び、ロータリー活動に・・・・・・と以前と殆ど変らない生活をしていた。ところが2年前、72歳の時 再度「脳内出血」で倒れ入院したとの報せがあり、急遽かけつけ医師に様子を聞くと“良くて2週間が限界だろう”と、レントゲン写真を見せられた。そこには2回の脳内出血で、脳全体が真っ白になっていた。 「医者としては手の施しようがない!」と言われ、家族は覚悟を決めていた。、、、、、、、、、、、、が、家族の献身的な介護と更に本人の生命力が強かったのであろう、約2年間生命を保ち続けた。瞬きと呼吸だけが生きている証としていたが、遂にそれも止まってしまった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。 そして通夜、葬儀。 参列者はロータリーの仲間を中心に400名余、葬儀場は生花でいっぱい。彼らしいな・・・賑やかなのが好きだったからね。笑った遺影を見ながら、昔を懐かしく思い出す日々だ。
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